支部誕生の様子は下記のような状況でした。(創立15周年記念誌より)
「わが国の経済復興の機運と時を同じくして、いわゆるアカデミックな学会でなく、製造に直結した学会、
それも生産技術分におけるそういった団体の必要性が痛感されていました。
たまたま米国ベルアンドハウェル社のヨーマイン氏(当時発足した日本映画機械(株)の総支配人)が
1961年末頃、すでに渡米中にASTME(American Society of Tool and Manufacturing Engineers)の会員と
なっている数名の人達に呼びかけられ、同学会の日本支部結成の運動を起こしたのが事の始まりでありま
した。
その核となったのが竹山秀彦(機械試験所)、黒田彰一(黒田挟範)、清水長一(日本映画機械)の3氏でした。
その後4回の準備委員会がもたれ、その度毎に共鳴者の数もふえ、約半年後に漸く産声をあげました。
それは1962年6月15日、東大構内にある学士会館分館において、前記ヨーマイン氏が本部代表となって、
すでに準備委員会で選出された役員を正式に任命し、竹山支部長にチャーターを授与され、ここにASTME
東京支部が発足したわけです。
この日、釆席された各界の釆賓は次の通りでした。
科学技術庁計画局長=杉本正雄氏、米国大便舘=A.B.ワードロー氏、米国大使館=M.L.ギャロップ氏、
米国在日商工合議所=J.C.ポスト氏、日本商工会議所=岡部仙太郎氏、日本機械学会=米津 栄氏、日刊
工業新聞社=荘司 等氏、日本工作機械工業会=高橋 豊氏、日本工具工業会=伊藤平市氏、日本鍛圧機械工
業会=磯野教太郎氏、日本金型工業会=野中敬一氏。
このことは会報”The Tool and Manufacturing Engineer”の1962年9月号に”Tokyo Becomes First Japanese
Chapter”との見出しと、写真入りで1ページ全部を使って紹介されています。
創立当時の会員数93名、主な支部役員はつぎの諸氏でした。
支部長竹山秀彦(機械試験所)
第一副支部長黒田彰一(黒田挟範製作所)
第二副支部長 沢田信夫(山武ハネウエル)
会計 小林重成(コバステ)
セクレタリー 清水長一(日本映画機械)
プログラム委員長 小出 栄(昭栄産業)。
発会式に至るまでに、数多くの人々から有形無形の応援を頂きましたが、とくに故人となられた菱川万三郎
氏(ヤシカ取締役、元東大教授)の熱心なバックアップは忘れられません。当日はセレモニーを主体として行
われ、7月の第1回例会における小出氏の『ピポットバニシング加工法』をはじめとして以後50年間にわたり
アップツーデートなテーマの講演や見学会が引続き実行されています。
ASTME(現SME)日本支部発会式 発会式 左より黒田彰一氏、ダニエル・ヨ−マン氏、竹山秀彦氏、澤田信夫氏、清水長一氏